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  紅楓相暎酔慈顔 待得帰輿未遽環
今歳此遊堪圧尾 携将佳酒看佳山
送母西下過伊丹遂遊箕尾
     山陽外史
 
     
  文政十二年十月二十二日、京都に住む頼山陽は、
母梅颸が広島へ帰るのを送る際伊丹、剣菱に一泊。
翌日箕面に紅葉狩りをし、美酒佳肴を携行、
散りゆく楓葉の下で酒宴を開いた。
山陽は大満足の母のほころぶ慈顔を見て、

紅く色づいた楓が、ほんのりと酔われた母上の
やさしいお顔と映じあっている。
安芸の国へ西下、帰郷される母上のお側近くに
お仕えできた嬉しさに、まだ帰りのかごに
急いで京の家に戻る気にはなれない。
今年の母上の今回の旅は、
恐らく母上との最後の遊びになるであろうが、
その思いに堪えながら、うまい酒を携えて、
この紅葉の美しい箕面の山を見にやって来たのである。

        出典:『自筆詩幅』(柿衞文庫蔵)より
 
 
頼山陽(17801832

江戸時代後期の高名な漢学者、漢詩人。伊丹の酒に魅せられてたびたび伊丹を訪れた。大坂に生まれ、広島で育ち、江戸に遊学し、晩年は京に居を構えた。文政10年(1827)著作『日本外史』を老中松平定信に献じ、広く世に認められた。この書物は後に勤王志士に多大な影響を与えた。

 
  
  場所:産業道路沿い


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