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  松窓読書罷 孤艇坐新晴
一半青山影 汲来茶鼎烹
     乙未暮春將西遊諸君開餞宴於遠
 翠館酔中作此図岡田兄之嘱
       未巳之誤 乙者丁之訛也  香坡

 
     
    自 画 賛
松窓 書を読み罷む
孤艇 新晴に坐す
一半 青山の影
汲み来たって茶鼎に烹る


窓のそばに松の木の生えた書斎での読書を終え、
晴れ上がったばかりの湖に一そうの小舟を漕ぎだして浮かべる。
湖の半ば近くまで、黒々として山の姿が映っている。
その水を汲んで茶釜で茶を煮て楽しむことだ。

乙未の暮春、将に西遊せんとし、
諸君、餞の宴を遠翠館に開く。酔中此の図を作る。
岡田兄の嘱の為なり。
未は巳の誤 乙は丁の訛なり


乙未の歳の暮春、西遊の旅に出ようとすると、
みんなが遠翠館で送別の宴を開いてくれた。
酔っぱらった状態の中で、この図を作った。
岡田兄の委嘱によったものである。
「未」は「巳」の誤り、「乙」は「丁」の間違いである。


            出典:『自画賛』より
 
 

橋本香坡(18091865

幕末の漢学者、勤皇家。上野国沼田(三重県)の生まれ。父親(一徳)が大坂蔵屋敷勤務となり、大坂へ。天保7年(1838)伊丹郷校「明倫堂」が開港されると、初代教頭となり、幕末の伊丹の教育・人材育成に貢献。倒幕の罪で逮捕され、獄死した。門人たちにより、伊丹菩提寺に葬られた。

 
  
  場所:市立伊丹小学校東側フェンス横


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