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           あらきたし
霜かれに 残りて我は 八重むくら
なにはのうらの そこのみくつに

         荒木村重
思いきや あまのかり橋 ふみならし
なにはの花も 夢ならむとは
     
  霜枯れの冬に残る私は、幾重にも生い茂った雑草のようなもので、
難波の水底の屑になってしまうのだなぁ。

果たして思ったであろうか。これまで自分のやって来たことは、
漁師が間に合わせの、仮橋を踏んで平らにするように、
同じところを何度も往ったり来たりしていたようなもので、
難波の花も結局は夢のまた夢であろうとは。

          出典:『信長公記』より
 
  荒木村重(1535~1586)

 戦国時代の武将。摂津伊丹 (有岡) 城主。初め池田氏、三好氏に属し、天正1 (1573) 年織田信長に仕えた。伊丹氏を滅ぼして伊丹城(有岡城)に入城し、摂津一円を治めた。同6年信長に謀反を起こしたが攻められ、翌年居城を逃れて毛利氏を頼った。のち剃髪して道薫、さらに道董と号し、茶人として豊臣秀吉に仕えた。

荒木だし(1558?~1580)

荒木村重の妻(正室か側室かは不明)村重の謀反により、信長軍により捕らえられ、京都六条河原で処刑される。
 
  
  場所:有岡城跡内

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