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金剛院

宮ノ前二丁目  猪名野神社から南へすぐ





金剛院表門

 



町石傘塔婆


有応山(うおうさん)金剛院は、猪名野神社の別当寺として、延喜四年(904)に醍醐寺の理源大師聖宝(822〜902)が野宮の本地薬師如来を本尊として開基をしたという伝承を持ち、野宮寺、野宮院、薬楽寺とも称しました。江戸時代後期の古野将盈(ふるのまさみつ)の著した「有岡庄年代秘記」に収められた「丹丘寺院開基年考」には、野宮院(金剛院)所在地、北少路村。開基は文禄年間(1592〜95)とあり、往時は、猪名野神社との関連で寺域も広く隆盛を誇っていましたが、今は真言宗御室派仁和寺の末寺として、静かなたたずまいをしています。

伊丹市史によると、薬医門形式の表門、は元禄十五年(1702)建立。また、方丈は市内最古で慶長年間(1596〜1614)豊臣秀頼が再建したのとの伝承をもっていますが、年代的には下がるようです。

石造遺品としては、有銘町石笠塔婆残欠があり、現在は塔身だけで、花崗岩製高さ116.7センチメートル、幅正面上下とも24.8センチメートル、側面上端18.2センチメートル、下端19.5センチメートルの方柱形で上端、下端に「ホゾ」を造り出して基礎上に建て、上に笠を置いたものです。正面に上端から9.0センチメートルおいて高さ100センチメートル、深さ0.8センチメートルの輪郭を彫りくぼめ、内部の上方に南無阿弥陀仏の名号を、その下に蓮華座を刻出し、更にその下に町数を入れ左右の空間に各一行、計十九文字を陰刻しています。

永正十四年(一五一七)丁丑 玄性

南無阿弥陀仏 十二丁

八月十八日    永昌

この町石笠塔婆と同じ年月日のものが、 川西市 加茂の阿弥陀寺(十四丁)と、 宝塚市 中山寺山内華蔵院庭園(六丁)にあります。他に不動種子(カーンマ―ン)板碑残欠や宝筐印塔残欠など市内では残存例の少ない遺品があります。






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