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猪名野神社

宮ノ前三丁目 市バス「清水橋」北へすぐ 






ムクロジ


伊丹郷町の氏神で古くは「野宮」「天王宮」「牛頭天王」などと呼ばれ、寛文九年(1699)の「伊丹郷町絵図」には「真言宗野宮寺」とあり、また、「摂津名所図会」〔寛政八年(1796)〕には『野宮牛頭天王。天王町にあり、古豊桜宮と称し、後世猪名野の中なれば俗称して「野宮」といふ、近隣十四村の生土神といふ』と記されています。慶応四年(1868)の神仏分離により、「猪名野神社」と改称。旧県社、式外社で社伝に依れば、祭神は猪名野座(いなのにます)
大神(健速須佐乃男命・たけはやすさのをのみこと)で、醍醐天皇延喜四年(904)に猪名寺(尼崎)の元宮から移したとありますが明らかではありません。 江戸時代寛文元年(1661)よりは、領主となった摂関家近衛氏の庇護もあり、郷町の氏神として崇拝されてきました。

本殿は、貞享二年(1685)造立の「素木造り向唐破風付春日造」で、前面に弊殿、拝殿を備えています。境内には伊丹氏と荒木村重が構築した伊丹城(有岡城)の惣構の「きしの砦」(野々宮砦)跡と推定される土塁跡、堀跡が一部残存し、昭和54年に境内全域が国史跡に指定されました。  参道両側と境内に酒造家や商人の寄進した石燈篭が計97基たち並び、最古は寛永二十年(1643)の銘があり、地方社としてはこれだけまとまった数は珍しく、当時の郷町の繁栄振りが想像されます。本殿西側に高さ136センチメートルの壮大な自然石の鬼貫句碑『鳥は未(まだ)口もほどけず初桜』があります。建立は嘉永七年(1854)秋。酒造家で俳人の山口太乙、岡田糠人、梶曲阜と裏刻されており、句の原本は柿衞文庫に現存します。

市の文化財に指定されている「猪名野神社神幸絵巻」三巻には、元禄十六年(1703)から宝永三年(1706)までと明和九年(1774)頃、明治31年ころの、お旅所である猪名寺村(尼崎市)迄の巡行行列の変遷が描かれており、酒造りで栄えた伊丹郷町の祭りの豪華さが忍ばれます。

猪名野神社発行の由緒に依ると境内社が15社あり、多くの神々が祀られています。

新宮神社(天児屋根命、大山咋命、三筒男之命)       
天満神社(菅原道真)
厳島神社(佐依毘売命、市杵島姫尊、多紀理毘売命、金山彦命、多紀都毘売命)
佐田彦神社(大山祇命、佐田彦命、宮比売)            
愛宕神社(火之迦具土神)
貴布弥神社(罔象女命)                              
塞神社(八衢比古神、八衢比売神、久那戸神)
祓戸神社(瀬織津姫神、速秋津姫神、気吹戸神、速佐須良姫神)
熊野神社(伊邪那岐命、伊邪那美命)                 
護国神社
五柱皇子神社(正哉吾勝々速日天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命)
立田神社(志那津比古神、志那津比売神)               
神明神社(天照皇大神)
大地主神社 、戎社(大国主神、事代主神)               
稲荷神社(宇伽能御魂神)

猪名野神社境内は、老樹や巨木が多く、所謂「鎮守の森」を形成しています。なかでも、市指定天然記念物となっている「ムクロジ(無患子)」は樹高約13.5メートル、枝張り東西約14メートル、南北約12メートル、根張り95センチメートル、幹は、地表面より2.4メートルで分枝し、直径52センチメートルの二本の枝となっていて、近郊のムクロジと比較しても特に古木で樹齢200年以上と推定されています。

ムクロジは、ムクロジ科の落葉高木で、自生地は、関東以南の各地と台湾、朝鮮、インド、ミャンマー等に広く分布し、葉は、偶数羽状複葉で互生し、小葉は、4〜8対あり、長さ7〜15センチメートルの狭長楕円形で、6月淡黄緑色の小花が円錐状に多数つきます。果実は、球形で、直径約2センチメートルで黄褐色に熟し、中に黒くて堅い種子があり、この種子、は羽根つきの玉に利用され、果皮はサポニンを含み、昔は石鹸の代用として使われました。

 





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