トップページ

発音寺

春日丘4丁目









木造三面大黒天立像

 
 飛鳥山発音寺は浄土宗の寺院で1648年(慶安1)建立され、市指定文化財の大日如来坐像、十一面観世音菩薩立像と、三面大黒天立像等が安置されています。
 大日如来坐像は脇壇仏として安置されている像高84cm、法界定印を結ぶ胎蔵界の像で、ヒノキの寄木造りであり、全体に赤茶色の古色が塗られています。頭髪に筋目を刻み、宝髻が高く装飾風に結ばれているのは鎌倉時代の宋風彫刻によく見られるものですが、胴がやや沈み衣文の表現も形式化が見られることから、やや時代は下がって南北朝時代の造立と思われます。像内に経典や造立願文が納入されている可能性があります。
 本尊の十一面観世音菩薩立像は像高170.3cm、左手に蓮華の水瓶を握り、右手に錫杖を持ち、目には玉眼を入れています。体部は寄せ木造りで黒漆が塗られており、この大きく美しい仏像は室町時代以降の作と思われます。1735年(享保20)奈良の唐招提寺から移されたと寺伝にあります。
 三面大黒天立像は像高148cm、大黒天立像の彫刻としては異例の大作であり、寄木造りで漆塗りが施されています。表情、甲冑の表現など、よく出来ており優れた仏師による作と推定されています。正面に歯を見せて笑う顔、向かって左に「忿怒相」の毘沙門天、向かって右に歯を見せる顔の辨財天の「三面六臂」で、正面に宝珠を表した二つの俵の上に直立しています。
 三面大黒天立像は平安時代の後期より作例が見られ当初忿怒相でスマートに造られていました。次第に大国主命と習合して七福神の一神として信仰されるようになり、短躯でふくよかな姿になりました。この像は、作風から造立時期は江戸時代と考えられ、宝暦年間(1751〜1764)に大坂長町の毘沙門堂(日本橋、大乗坊)から発音寺へ移されたといわれているので、それ以前に造られたと思われます。 阪神・淡路大震災により倒壊しましたが、京都において復原補修が施され、1996年(平成8)8月22日伊丹市有形文化財に指定されました。






目次