曹洞宗、古城山荒村寺は寺伝によれば伊丹郷町の木綿屋徳三郎が禅宗に深く帰依し、堺町にあった閑室に嘯山虎渓和尚(しょうざんこけいおしょう)を招いて参禅したのが始まりです。この庵室は1800年(寛政12)古城跡に移り、城山庵と呼ばれるようになりました。天保年間(1830-43)に一妙法国尼を開基とする尼寺になりました。
その後、荒木村重のゆかりにより荒村庵となり、1964年(昭和39)荒村寺と号するようになりました。1977年(昭和52)国鉄伊丹駅前再開発事業により、現カリヨン塔付近から現在地に移築されました。本尊は十一面観世音菩薩立像です。
荒村寺は村重の菩提を弔うために建てられたとも伝えられ、この寺に位牌があり、「心英道薫禅定門」となっています。
境内には手洗い鉢に使用されている1374年(応安7)の宝篋印塔や1842年(天保13)の一石五輪塔があります。
庭前に鬼貫の句碑があります。高さ約158cmで1865年(慶応元)梶曲阜、山口太乙、岡田糠人によって建てられました。
「古城や 茨くろなる 蟋蟀(きりぎりす) 鬼貫」
この句は『大悟物狂』や『仏兄七久留万』に載り、「有岡のむかしをあハれにおぼえて」の詞書がついています。三池藩立花家から伊丹に帰った鬼貫が有岡城跡を訪ね、茨の茂みに蟋蟀が鳴く侘しい光景に心うたれて作ったといわれています。
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