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和泉式部の墓

春日丘6丁目




和泉式部の墓





五輪塔

 
 伝和泉式部の墓は旧西国街道の伊丹坂の上、旧北村字村畑にあります。地中に埋まっていたためか、保存状態が極めて良く、花崗岩でつくられた美しい形の五輪塔ですが、現存しているのは空輪・風輪・水輪だけで火輪と地輪は見当りません。水輪の高さは58.5cmで、復元すると全体の高さは230cmにもなる大形塔です。構造形式は鎌倉調で1300年代初期の造立と推定されます。式部は900年代後半から1000年代前半の人なので、後世の人が式部追善供養のために建てたと思われます。1798年(寛政10)に書かれた『摂津名所図会』には「墓」ではなく「塔」と記されております。一方『有岡古続語』には「伊丹坂村に和泉式部の墓といひ伝ふる有、読書に出さず、いつミ式部の塔は豊嶋郡古江村無二庵にありと摂陽郡談に見へたり、式部後に平井の保昌に嫁す、保昌ハ河辺郡平井村の産地、もしこれらの故を以て此所にしるしの石を残せるか、多田の神廟にちかき地なれば、源家の諸士の由緒多し」と出ています。
 式部の歌は、1500余首残っていますが、伊丹に関係のあるのは、「津の国のこやとも人を いふへきに ひまこそなけれ 芦の八重葺」という、『後拾遺和歌集』に収められた一首だけです。その歌碑が瑞ヶ池公園の東南に建っています。





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