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辻の碑

北伊丹1丁目



 
 この碑は市域の中央を横切る旧西国街道と多田道とが交わる、いわゆる「辻」(北伊丹1丁目89番地)に、高さ92cm、幅76cmの自然石で鋭角を上方に向けて建てられており、現在は覆屋の中に納められています。阪神・淡路大震災で、折損し転倒しましたが修復されました。この碑の表面には銘文があって、昔は多くの文字が刻まれていたようですが、多年の風雨にさらされ磨滅し、下方が剥落して今では中央上方に刻まれた一行「従東寺拾里」の他は読み取ることが出来ません。しかし1798年(寛政10)刊行の『摂津名所図会』には「従東寺十里(東寺とは、京都教王護国寺のこと) 従関戸七里(関戸とは、山城との国境大山崎関戸院のこと)従須磨七里(須磨とは今の神戸市須磨のこと) 従天王七里(天王とは、今の三田市母子天王嶺のこと)従大小路七里(大小路とは、和泉との国境、今の堺市大小路のこと)」と刻まれていたと記しています。
 この碑はつまり辻村が摂津国の中央(中心)であることを標示するために建てられたことがわかります。年代は不明ですが、『川辺郡誌』には、「伝説に源満仲の建つる所といひ」とあります。1965年(昭和40)市指定文化財となりました。所有者は宗教法人臂岡天満宮となっていますが、これは以前この地に八坂神社(覆屋の左横に石柱あり)があり、同宮に合祀されたことによるものです。




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