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善寺

北伊丹三丁目  市バス「北村西口」東すぐ








阿弥陀如来立像


久遠山
( くおんざん )教善寺は、明応五年(1469)に創建されたといわれています、浄土真宗興正派の寺院です。応永七年(1400)には、摂津塚口に真宗興正派の塚口御坊が置かれ、この界隈の興正派寺院は、ここを中心に教線を拡げていったと考えられます。

この寺は、平成七年の阪神淡路大震災で庫裡・裏山門が倒壊し、本堂や鐘楼なども、大きな被害を受けましたが修復されました。本尊は、阿弥陀如来立像(昭和40年11月8日市有形文化財指定)。檜材の立像で、右手は肘を曲げ、左手は下に垂らして、それぞれ第一指と第二指を合わせる、いわゆる来迎印を結んでいます。この形式は、快慶が完成させたもので、彼の号をとって「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれています。像高98.8センチ、目に玉眼を入れ、総体に肉付きが豊かで、衣紋に写実性があり、特に袖の表現は巧みで、木肌の刀法の雄渾なことによって、この像の美術的価値を一層高め、よく鎌倉期の作風を伝えているが、製作年代は少し下って、南北朝から室町時代頃と考えられます。この寺の過去帳によりますと、天正七年(1579)12月織田信長の軍勢によって鋳物師(いもじ)の霊蓮寺が焼かれたとき、その本尊を教善寺に移したと記されています。霊善寺、は龍(良)蓮寺とも書き、伊丹廃寺付近の地名になっていることから、この像は伊丹廃寺の旧仏である可能性も考えられます

また、この寺には、天誅組のひとりであり、国学者・歌人である伴林光平が、安政三年から4年間に亘って隠れ住んでいました。その間に伊丹・池田の町衆に、国学や歌を教えていたといわれています。
それ故、この寺には、伴林光平の書や歌が数多く保存されています(37項に伴林光平の関連記事)。





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