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善寺

北伊丹3丁目








阿弥陀如来立像

 
 久遠山教善寺は1496年(明応5)に創建された浄土真宗興正派の寺院です。1409年(応永16)には、摂津塚口に真宗興正派の塚口御坊が置かれ、この界隈の興正派寺院は、ここを中心に教えを拡げていったと考えられます。
 この寺は1995年(平成7)の阪神・淡路大震災で庫裡・裏山門が倒壊し、本堂や鐘楼なども大きな被害を受けましたが修復されました。
 本尊は阿弥陀如来立像で、1965年(昭和40)11月8日市の有形文化財に指定されました。檜材で、右手は肘を曲げ左手は下に垂らして、それぞれ第一指と第二指を合わせる、いわゆる来迎印を結んでいます。この形式は快慶が完成させたもので、彼の号をとって「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれています。 像高98.8cm、目に玉眼を入れ、総体に肉付きが豊かで、衣文に写実性があります。
 特に袖の表現は巧みで木肌の刀法の雄渾なことによって、この像の美術的価値を一層高め、よく鎌倉期の作風を伝えています。製作年代は少し下って、南北朝から室町時代頃と考えられます。この寺の過去帳によりますと、1579年(天正7)12月織田信長の軍勢によって鋳物師の霊蓮寺が焼かれたとき、その本尊を教善寺に移したと記されています。霊蓮寺は龍(良)蓮寺とも書き、伊丹廃寺付近の地名になっていたことから、この本尊は伊丹廃寺の旧仏である可能性も考えられます。
 また、この寺には天誅組のひとりであり、国学者・歌人であった伴林光平(ともばやしみつひら)が、1856年(安政3)から4年間に亘って隠れ住んでいました。その間に伊丹・池田の町衆に、国学や歌を教えていたといわれています。それ故、この寺には伴林光平の書や歌が数多く保存されています。






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