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松尾芭蕉の碑

北伊丹五丁目市バス「松谷化学前」すぐ





松尾芭蕉あゆみの地・碑


この碑は、軍行橋の南、西国街道と猪名川が交わる猪名川右岸の堤防東
側にあります。高さ150センチメートル幅約75センチメートルの自然石で、碑面には「芭蕉翁あゆみの地」、碑蔭には「芭蕉が笈の小文(おいのこぶみ)の旅で兵庫から京へ帰る際、西国街道を東進して、この地を通過した。貞亨5年4月22日のことであるが、依って記念の為此処に建碑する。昭和47年6月伊丹市教育委員会」と刻まれています。撰文は、柿衞翁岡田利兵衛氏。このとき、芭蕉45歳。旅を棲み家とした俳聖芭蕉は伊丹には立ち寄っていませんが、この旅で4月19日大阪を出て尼崎から船に乗り兵庫に上陸し、須磨、明石迄行き神戸に帰り、21日朝布引の滝を見て京へ上るために東へ進み、御影の東明にあって「万葉集」にも出ている伝説地の乙女塚に立ち寄り、箕面勝尾寺から高槻の能因塚、山崎の宗鑑屋敷を経て23日京へ着いております。このコースは京から西国につらなる西国街道で、芭蕉は従者万菊丸(門人坪井とこく杜国)をつれて3日がかりで通りました。 いまの国道171号の南側を昆陽・千僧・大鹿・伊丹坂・北村・下河原を経て東へ進む旧道で、当時は伊丹郷町を外れていますが、いまは伊丹市内ということから芭蕉は伊丹に足跡を残したということが出来ます。もし門人がおれば、むろん立ち寄ったことでしょう。伊丹と芭蕉はただ一度、こんなつながりがあったのです。芭蕉は、翌年の春に奥羽への大旅行を企てました。それが「奥の細道」です。なお、同じ場所に寛政6年(1794)の廻国供養塔や新建石橋碑も建っております。







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