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天日神社

荒牧3丁目









天日神社 山車

 
 天日神社は荒牧の氏神で、集落の西北に鎮座しています。荒牧には天神川と天王寺川が流れ、北に長尾山があって、古くから開けた所です。天が授けた土地という意味で天日神社といったと伝わります。
 創建時期は不明ですが、1995年(平成7)1月17日に起きた阪神・淡路大震災で倒壊した古い鳥居には1704年(宝永元)の銘があり、江戸時代中頃には神社が存在していたと思われます。
 祭神は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)であると伝えています。主な建造物として、正面に新しく建てられた鉄筋の拝殿、その奥に本殿があります。本殿は向唐破風(むかいからはふ)つきの一間社春日造の建物で、屋根は柿葺(こけらぶき)、欅の素木造(しらきづくり)です。建立年代は細部の形式からみて17世紀から18世紀初期の頃と思われます。
 1992年(平成4)大鳥居が新調されましたが、わずか3年後の阪神・淡路大震災で倒壊。大鳥居を再び新調するとともに、倒壊した大鳥居と本殿前鳥居(宝永元年創建)を後世に語り継ぎたいとの思いで、氏子有志の奉仕によりモニュメントが制作されました。
 また江戸時代、当地が尼崎藩の領地であったことから、その境には角柱型の領界石が立っておりました。それが境内に保存されています。

* 天日神社の地車(だんじり)は1890年(明治23)、大阪府住吉郡住吉村の宮大工「大佐」の製作です。「大佐」とは大工の佐兵衛に由来する名称で、近世初期から昭和30年代までの長きにわたり摂河泉(摂津、河内、和泉地区)に君臨した宮大工で、泉州岸和田の地車大工匠が、一目も二目もおく由緒ある名門大工でした。この「大佐」製の地車は、住吉型と称され、主な特徴は大屋根・小屋根の段差が大きく、柱に透かし彫りが施されています。





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