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容住寺

荒牧1丁目17−30   市バス「荒牧」西5分








容住寺境内


旧荒牧集落のほぼ中心にある容住寺は、聖徳太子建立と伝えられる伊丹でただ一つの天台宗の古刹で、縁起によると、太子が大坂の四天王寺から中山寺に往還された折、この地の柳の下にある大石に腰掛け、憩いをとっていたとき、霊感を受け、「吾れ此の所に容(かたち)を住(と)め置きたし」と
お堂を建立して十一面観音を本尊とし、太子十六歳の像を安置して容住寺と号したと伝えられています。南面する山門を入ると、正面に本堂があり、屋根は錣葺(しころぶき)で向かって左側には、手前から鐘楼、観音堂が並び、右側には庫裏の建物があります。当寺の本堂は、方丈形式の堂を本堂にあてたもので、建立は棟札によって元禄九年(1696)とされ、八畳六室を二列に並べ、正面に一間の広縁、側面に半間の縁をとる形式で、中央の間に仏壇が造られています。本尊の十一面観音座像は、伊丹に於ける最古の仏像と考えられ、高さ56.3センチメートル右手に水瓶を持ち、左手を胸前に上げる内ぐりの無い一木造りの像で、膝を左右に大きく張って安定感に富み、下脚部を内側へ強く曲げ、膝部に同心円状の衣紋(えもん)を表すなど、平安中期の仏像を示しています。ただ、古い像であるため、後世に彫り直しや修理がなされるなど、平安中期の面影をややかいているのが惜しまれます。

境内には「太子腰掛け石」がありますが、もと川原にあったものを移設したものです。門前には聖徳太子が馬に乗ってきてつないだとされる「駒つなぎの松」の碑があります。近くには太子が衆生を済度(さいど)せんと護摩を焚き名香を薫じた所といわれる「香の薮」の碑が、天日神社の東隣公園に建立されています。諸人に仏の道を説いた川辺にちなんで名付けた「戒の川」は、少し東の現在の天神川です。





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