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容住寺

荒牧1丁目







容住寺境内

 
 仙柳山容住寺(せんりゅうざんようじゅうじ)は伊丹で唯一の天台宗の古刹です。縁起によると、聖徳太子が大坂の四天王寺から中山寺に往還された折、この地で松に馬をつなぎ、柳の下にある大石に腰掛け休息していたとき、霊感を受け、「吾れ此の所に容(かたち)を住(とど)め置きたし」と、お堂を建立し容住寺と号したと伝えられています。本尊は木造の十一面観音坐像で、聖徳太子16歳の孝養像も安置されています。
 山門を入ると正面に本堂があります。方丈(ほうじょう)形式の堂をあてたものであり、棟札によって、1696年(元禄9)の建立とされています。内部は8畳と6畳を2列に並べ、正面に一間の広縁、側面に半間の縁をとる形式で、中央の間に仏壇が造られています。阪神・淡路大震災により大きな被害を受けましたが、2004年(平成16)に修復されました。
 1996年(平成8)8月に市指定文化財となった本尊の「木造十一面観音坐像」は、伊丹における最古の仏像と考えられています。高さ56.3cm、右手に水瓶を持ち、左手を胸前に上げる内ぐりの無い一木造りの像で、膝を左右に大きく張って安定感に富み、下脚部を内側へ強く曲げ、膝部に同心円状の衣文を表すなど、平安時代中期の仏像の特徴を示しています。
 境内には「太子腰かけ石」がありますが、もと川原にあったものを移設したものです。門前には聖徳太子が馬に乗ってきて、つないだとされる「駒つなぎの松」の碑があります。なお太子が衆生を済度せんと護摩を焚き名香を薫じた所と言われる「香の藪」の碑が、天日神社の東隣の公園に建立されています。






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