トップページ

慈眼寺

鴻池字村西  市バス「鴻池」西5分






慈眼寺山門




木造阿弥陀如来像


摂津名所図会によりますと、寺は修験道、真言宗から、正保三年(1646)に曹洞宗になり、池田・大広寺の弟子、
嫩桂(どんけい)永昌が住職となって僊園山慈眼寺(せんえんさんじげんじ)と称しました。明治三年、堅堂祚戒(けんどうそかい)和尚のとき、法地と認定され、寺の格が上がりました。

本尊は、木造釈迦如来坐像で、建久六年(1195)、鎌倉時代初期につくられた像高51.8センチメートルの比較的小さめの仏像です。この像は、腹前で両手を重ねて親指の先を合わせる「禅定印」の印相を示す釈迦如来で、左肩に袈裟をつるす紐を表すのは、鎌倉時代の作風に見られるものです。像の表面はサビ下地に黒漆を塗り、さらに金箔を貼る漆箔が施されていますが、現在ではほとんど剥落しています。昭和63年夏の修理の際、像内からおびただしい墨書銘が確認され、注目を浴びました。

住職の話によると「本堂がきれいになったので、本尊さんだけそのままではと思い修理にだしたところ大変なことがわかりました。そっと大事にして、これまで手を加えなかったからこそ貴重なものが残ってよかったのだそうです」とのことでした。

銘文には、建久六年七月八日からこの像をつくり始め、願主は「生阿弥陀仏(しょうあみだぶつ)」という僧であることが記されています。このほか、「一阿弥陀仏」など結縁者150余人の名が像内ほぼ全面と膝裏に書かれています。像には仏師名が記されていないため、現在のところ造立仏師は不明ですが、慶派仏師のなかのすぐれた仏師であることは間違いなく、快慶が「安阿弥陀仏(あんあみだぶつ)」という名号を持っている例から、像内に書かれた阿弥陀仏名号のなかに仏師の名がある可能性も考えられ、今後の研究によって造立仏師が判明するかもしれません。この像は、国の重要文化財(平成二年)に指定されました。






目次