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慈眼寺

鴻池6丁目




慈眼寺山門




木造阿弥陀如来像

 
 『摂津名所図会』によると、寺は修験道、真言宗から、1646年(正保3)に曹洞宗になり、池田・大広寺の弟子、嫩桂(どんけい)永昌が住職となって僊園山(せんえんさん)慈眼寺と称しました。
本尊は木造釈迦如来坐像で、鎌倉時代初期の1195年(建久6)につくられた像高52.4cmの比較的小さめの仏像です。この像は腹前で両手を重ねて親指の先を合わせる「禅定印」の印相を示す釈迦如来像で、左肩に袈裟をつるす紐を表すのは、鎌倉時代の作風に見られるものです。像の表面はサビ下地に黒漆を塗り、さらに金箔を貼る漆箔が施されていましたが、現在ではほとんど剥落しています。
 1988年(昭和63)夏の修理の際、像内からおびただしい墨書銘が確認され、注目を浴びました。
前住職の話によると「本堂がきれいになったので、本尊さんだけそのままではと思い修理にだしたところ大変なことがわかりました。そっと大事にして、これまで手を加えなかったからこそ貴重なものが残ってよかった」とのことでした。
銘文には、1195年(建久6)7月8日からこの像をつくり始め、願主は「生阿弥陀仏」という僧であることが記されています。このほか、「一阿弥陀仏」など結縁者150余人の名が像内のほぼ全面と膝裏に書かれています。像には仏師名が記されていないため、現在のところ造立仏師は不明ですが、慶派仏師であることは間違いありません。快慶が「安阿弥陀仏」という名号を持っている例から、像内に書かれた阿弥陀仏名号のなかに仏師の名がある可能性も考えられます。なお、この像は、国の重要文化財(1990年・平成2年)に指定されました。
 この寺には清酒発祥の山中家の墓塔と墓碑、本堂には4基の位牌があり、その墓所に山中幸元の一石五輪塔があります。






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