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鴻池神社

鴻池6丁目








鴻池神社本殿

 
 建久年間(1190−1199)の創建と伝え、もとは蔵王権現をお祀りしていましたが、神仏分離令に伴い1869年(明治2)に、安閑天皇神社と改め、1916年(大正5)に慈眼寺境内の八幡神社を合祀して、鴻池神社と改めました。
 本殿は一間社流造りで、覆屋(おおいや)に納められ、前面に拝殿をそなえています。屋根は柿葺(こけらぶき)で、全体の構成や細部の手法は、近世初期の神社建築の特徴をよく伝えており、1975年(昭和50)に県の有形文化財の指定を受けています。彩色など保存状態もよく、蛙股・木鼻などの彫刻も伸びやかで流麗な感じを与えていますが、後世に正面の扉は手が加えられました。板唐戸となっていましたが、阪神・淡路大震災後の補修の際に、かつて床下から見つかった古材にもとづいて、格子戸に改装されました。
 1913年(大正2)の覆屋修復の際に発見された棟札には、
 「元禄六年(1693)二月二十二日」
 「蔵王権現拝殿大破付今度山中氏依助力建立仕者也」
(ざおうごんげんはいでん たいはにつき このたび やまなかしじょりょくによりて こんりゅうつかまつるものなり)
 「橘氏大工 松原久右衛門」
 「願人(ねがいびと)庄屋 荒西与三右衛門」と記されていました。
 山中氏は、この地で酒造業を始めた、後の鴻池家の本家であり、また松原氏もこの地で代々宮大工を営んでおり、同じく、県指定重要有形文化財の春日神社(口酒井)本殿の棟札にもその名が残されています。
阪神・淡路大震災により、拝殿は倒壊し、覆屋は傾きましたが、本殿は倒壊を免れました。本殿と覆屋は修復し、拝殿は新しく鉄筋造りに改められ、1997年(平成9)に完成しました。

 ○「石燈篭」
 参道入口に立つ左右一対の石灯籠は総高162cmで基礎の正面に「産子中」とあるのは、氏子と同意です。竿の正面に「常夜燈」とあり、背面中央には「天保歳在庚子(てんぽうさいざいこうし)」とあるのは、1840年(天保11)のことで、また右側の分には「岸本鐵山書」と落款もあります。

 ○「手水鉢(ちょうずばち)」
 境内の手水鉢は花崗岩製で幅68cm、奥行40cm、高さ45cmの寸法です。正面中央に「奉寄進手水鉢」、右側に「文政十亥年」「元丘」、左側に「山中宗圓後裔」「鴻池新右衛門」と刻まれ、1827年(文政10)に山中家最後の当主となった新右衛門元丘の寄進であることが判りました。
 2017年(平成29)10月22日の台風21号の強風により大破しましたが、氏子寄進により2018年(平成30)4月30日に竣工され、「水瀬」と刻まれていて、以前のものはモニュメントとして境内に残されています。

 ○「石鳥居」
 震災後の1997年(平成9)に氏子の寄進により復旧されていた、左右両柱の間隔6.6m、高さ6mの神明鳥居も前述台風21号により巨木(えのき)が倒れて、大石鳥居も倒壊しました。2018年(平成30)4月30日に氏子寄進により、やや大きめに造られ、地車(だんじり)がゆとりをもって通過できるようになりました。これも石鳥居上部のみがモニュメントとして境内に残されています。





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