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鴻池神社

鴻池字村西  市バス「鴻池」西5分











鴻池神社本殿


もとは蔵王権現を祭っていた社でしたが、明治十二年の神社明細帳作成時に、安閑(あんかん)天皇を祭神として安閑神社と改称され
更に大正期に、向かい合う慈眼寺の鎮守八幡神社を合祀して、鴻池神社と呼ばれるようになりました。

祭神を決める際には、一般的には国家とのかかわりを重視し、天皇家と関係があるような祭神が選ばれたようです。市内には24の神社がありますが、注目されるのは、この社と桑津神社が、アマツカミ系ではなく、古代の天皇とその甥を祭神としていることです。古くからこの地に安閑天皇にまつわる何らかの伝承が伝わっていたことから祭神として選ばれたのではないかと推測されています。

本殿は、一間社流造り(いっけんしゃながれづくり)で、覆屋に納められ、前面に拝殿をそなえています。屋根は柿葺(こけらぶき)で、全体の構成や細部の手法は、近世初期の神社建築の特徴をよく伝えており、昭和50年県の有形文化財の指定を受けています。彩色などの保存状態もよく、かえる股・木鼻(きばな)などの彫刻も伸びやかで流麗な感じを与えていますが、後世正面の扉は手が加えられ、扉構えとなっていますが、元は床下の古材から格子戸引き違えであったことが分りました。

大正二年の覆屋修復の際に発見された棟札には「元禄六年(1693)二月二十二日」、「蔵王権現拝殿大破付今度山中氏依助力建立仕者也」、「橘氏大工  松原久右衛門」、「願主庄屋  荒西与三右衛門」と記されています。山中氏は、この地で最初に酒の醸造を始めた後の鴻池家の先祖であり、拝殿建築に際して援助したことを窺い知る事ができます。また、松原氏もこの地で代々大工を営んでおり、同じく、県指定の春日神社(口酒井)の棟札にもその名が残されています。平成七年一月十七日未明に起きた阪神淡路大震災により本殿・拝殿は傾き、石造物にも被害が及び、日を経ずして拝殿は崩壊しました。覆屋はその後復元されましたが、拝殿は平成八年九月十三日より再建のための工事を始め、平成九年春完成しました。





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