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素盞嗚神社

中野北1丁目




素盞嗚神社

  素盞嗚神社の建立は江戸時代初期、浅野孫左衛門らが新田中野を開発した際に、神社用地4反4畝(4,362m2)に社を建設して村の氏神として牛頭天王を祀ったのが始まりと伝えられています。明治に入って神仏分離政策がとられ、祭神を記する必要がありました。素盞嗚尊は、「クニツカミ」で、仏教でいう牛頭天王が日本に現れたときの姿であるという説があり、祭神として素盞嗚尊を祀り、以後、素盞嗚神社と呼ばれるようになりました。本殿は、流造檜皮(ひわだ)葺で覆屋があり、立派なものであったようですが、阪神・淡路大震災で全壊し、2002年(平成14)に再建されました。参道口の鳥居は、1996年(平成8)に復旧されています。なお、本殿の北西の隅にある浅野霊神社は、初代庄屋の浅野孫左衛門が亡くなって120年後の1759年(宝暦9)に、その功績を称え、淺野権現として祀ったものです。
 1831年(天保2)、素盞嗚神社の神官であった杉山周善が、自宅で寺子屋「酔墨堂(すいぼくどう)」を開いて子弟の指導にあたりました。それが後の中野分教場の前身といわれ、当地で最初の教育施設です。隣接する公園に碑があります。








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