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常休寺

中野北2丁目




常休禅寺山門





 
 法雄山常休寺は黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)を本山とする寺で、新田中野村開発の祖、浅野孫左衛門ゆかりの寺です。 当寺は1683年(天和3)萬福寺2代目木庵性滔(もくあんしょうとう)の弟子慧極道明(えごくどうみょう)により開山されました。尼崎藩小浜奉行の伊東祐之(いとうすけゆき)は諸堂の建立に尽力し、また3代目孫左衛門も寺領を寄進しました。
 1686年(貞享3)に新田中野村は武蔵国忍藩阿部氏の領地になり、当寺は阿部氏の菩提所となりました。1823年(文政6)奥州白河藩へ転封までの137年間、祭米年40石の寄進を受けました。寺内墓地には、初代浅野孫左衛門の墓のほかに伊東氏や忍藩阿部氏ゆかりの墓碑や一際大きい医師山田龍斎の顕彰碑があります。龍斎は近くの素盞嗚神社の神官杉山周善によって開かれた寺子屋酔墨堂に教師として招かれて多くの門人に尊敬されたと伝わります。
 寺の正面に中国風の朱塗りの山門が建っています。中央の屋根を高くして、両方の屋根が低くしてあります。うまく組み合わせて重層のように見えます。屋根の上に、魔伽羅という魚を一対のせています。中央にかかげてある「法雄山」の額は、木庵和尚の書です。
 山門を入ると、白い石畳が本堂までつづいています。石畳は龍のうろこを表しており、両側に長方形の切り石をおいて真ん中に真四角な石をひし形に並べた独特なかたちです。
 本尊は釈迦如来坐像で、脇侍として迦葉(かしょう)・阿難(あなん)の二大弟子の木像を配しています。






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