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土地改良碑

中野北四丁目  市バス「西野」北東5分





土地改良碑



顕彰碑


碑文には、浅野孫左衛門が中野を開拓したことから、孫左衛門池が埋め立てられるまでのことが記されています。即ち、「この地は寛永七年(1630)浅野孫左衛門が開発したもので、その名を新田中野村と称した。開発するに先立ち寛永六年に池が掘られ、開拓者の名をとって孫左衛門池と名づけられた」(昭和四十二年三月)

そして、孫左衛門池は、県営伊丹中野団地になっています。

旧新田中野村は、現在の伊丹市中野・東野・西野地区を中心にした約200ヘクタールの地域です。今から、370年程前、浅野孫左衛門ら八人が昆陽村地内の荒れ地を開墾したいと幕府に願い出ました。昆陽村本郷のものでないよそものが開発を願い出たわけですが、寛永六年にやっと許可が下りました。これに驚いて昆陽村本郷から開発は本郷のものに仰せ付けられたいと願い出ましたが、幕府は、孫左衛門の願いは年来のものでその間、昆陽村本郷の者がなんの反応も示さずにいて、今さら昆陽村が願い出るのはふとどきであるとして、孫左衛門の開発願いを認めたものです。

孫左衛門らは、まず、新田に必要な農業用水として、この年に六つの池を築造しました。最大の池が、孫左衛門池です。翌、寛永七年から幕府の保護を受けて開発を始めましたが、各地から46世帯・約150人の人々を呼び寄せています。48年後の延宝五年(1677)には、開発面積は、一二二町三反三畝二五歩(122ヘクタール)にのぼっています。この事業は、伊丹市域の新田開発としては、もっとも大規模なもので、本村から独立して一村をつくった新田としてはただ一つの例です。

浅野孫左衛門の出身地は不明ですが、新田開発願いの文書に名字を書いているので武士であったと推定されています。土地改良碑の近く、中野橋のほとりに「新田中野村先駆者顕彰碑」が平成五年三月に建立され、寛政十二年初代の庄屋であった浅野孫左衛門ら八人の偉業が讃えられています。





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