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墨染寺

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「女郎塚」の碑


華嶽山墨染寺(ぼくせんじ)
は、曹洞宗の寺院で、開基は天正18年(1590)とされ、薬師堂安置の木造薬師如来坐像は、京都深草の墨染から移されたものとする伝承をもち、鎌倉末期か南北朝時代の作と考えられます。

寺内には荒木村重や鬼貫に関係する石造遺品が多くあり、「女郎塚」碑は、有岡城落城により処刑された婦女子の供養に建立したと伝えられ、正面に「女郎塚」と草書体で、右側面に「天正七年十二月十三日落城」と刻まれています。周辺には当時有岡城の砦「上臈塚」が置かれていた記録があるので、上臈塚砦に因んだ石碑かも知れません。

また、荒木村重の墓と伝える九層石塔は、在銘では市内最古の遺品ですが、残欠を寄せ集めたもので、笠の軒下に垂木形を造り出したものと、無いものと、石質の違うものとの三種以上が積まれています。1番下の台石になっているものは層塔の基礎で、高さ39センチメートル、幅上端81.2センチメートル、下端83.6センチメートルで、現在の北面全面に銘文の痕跡が認められますが、風化がひどく僅かに「正和二年(一三一三)□□二月廿九日」と読めます。その上の基礎と塔身は、近世の後補で、塔身の四方に四天王の種子(東)(ジリ)持国天、(西)(ビー)広目天、(南)(ビ)増長天、(北)(パイ)多聞天を配しています。この塔は、もと鵯塚の上に立っていたのを近世後期にここに移したと伝えられています。基礎や塔身はそのときに造られたのかも知れません。

墓地の一隅に鬼貫碑と句碑『秋は物の月夜烏はいつも鳴  おにつら』が並んでおり、碑陰に「弘化二年(一八四五)巳八月  梶曲阜(かじきょくふ)建立」とあり、この句の原本は、柿衞文庫に現存しております。また、六歳で没した鬼貫の長男、永太郎の墓があり、その側面に鬼貫の戒名である「仙林則翁居士」(正しくは遷林即翁居士)と刻まれていて、親子墓又は故郷墓と呼んでいます。本墓は、大阪天王寺の曹洞宗寺院、鳳林寺にあります。

なお、この親子墓と並んで、飛騨の名工といわれた 「谷口與鹿(よろく)」のちんまりとした墓があります。





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