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御願塚古墳

御願塚4丁目



南神社

 
 御願塚(ごがづか)古墳は伊丹市の南部、阪急伊丹線稲野駅近くの平地にあり、構築年代は古墳時代中期(5世紀後半)のものです。墳長52m、前方部前幅19m、長さ13m、高さ2m、後円部は直径39m、高さ7mで墳丘の前方部が短く低く作られた帆立貝式の古墳です。周囲には8〜11m幅の水を湛えた馬蹄形の内濠が巡っています。墳頂部に建てられている南神社は、御願塚3丁目に所在する須佐男神社の下社で、祭神は孝徳天皇(在位645〜654)です。
 被葬者を埋葬した主体部は、1875年(明治8)に地元の人々により一部掘られ、そのとき地中より石組らしいものが出たようですが、構造など詳細は不明です。しかし、墳丘からは近年の調査により円筒・形象埴輪や須恵器が出土しています。
1987年(昭和62)以降、周濠外側一帯で、数次にわたる発掘調査が行われ、幅4〜5m、深さ30cmほどの小規模な溝が、濠にそって巡っていることが明らかとなり、この溝の内部から古墳本体と同様の円筒・形象埴輪片が見つかったことなどで、この古墳が二重周濠であることが証明されました。
 なお、御願塚古墳を中心として200〜300mの範囲に、かって、満塚(みちづか)・ 掛塚(かかりづか)・ 温塚(ぬくめづか)・ 破塚(やぶれづか)と称する塚地があり、御願塚古墳は、昔は 五ヶ塚(ごがづか)と呼ばれていたようですが、これは周辺部の4基の塚と合わせての呼び名であったといわれています。現在、御願塚古墳以外は消滅しており、標石を残すのみとなっています。
 1998年(平成10)6月、墳丘の裾で「造り出し」と呼ばれる祭祀場が発見されました。幅3.8〜4.5m、長さ4m以上で、造り出しからは円筒埴輪が2列並んでいました。いずれも上部は壊されていましたが、底部径30cm以上もあり、北側に8基、南側に7基ありました。被葬者は不詳ですが、地元では火焔皇子(ほのおのきみ)と言い伝えられています。





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