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猪名寺廃寺(尼崎)

尼崎市猪名寺1丁目






猪名寺廃寺の礎石 

 
 尼崎市の北東部、猪名川の支流藻川右岸の微高地である猪名寺佐璞丘(さぼくがおか)に白鳳時代〜室町時代の古い寺院跡があります。1951〜1952年(昭和26〜27)、真言宗猪名野山法園寺境内からその裏手の林にかけて、発掘調査が行われ、金堂と塔とを東西に並べ、南面する法隆寺式伽藍配置の寺院跡であることが明らかになりました。また、巨大な花崗岩の塔心礎が露出したかたちで残されており、礎石上面に柱孔(はしらあな)が掘られ、別に舎利孔があります。この遺跡を猪名寺廃寺跡と言います。
 当時の摂津国河辺郡の東側、猪名川河畔の丘に伊丹廃寺、下流の微高地に猪名寺廃寺があり、猪名川左岸の豊島郡の丘上に新免廃寺(豊中市新免)が建立されていたことは、この猪名川流域の白鳳文化を考える上で、注目すべき事実です。
 伽藍は、1578〜1579年(天正6〜7)の荒木村重と織田信長の合戦の際に焼失したものと思われます。また、法園寺境内には猪名野神社元宮があります。





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