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昆陽本陣跡

昆陽五丁目








元弘の乱(1331)によって捕えられた後醍醐天皇が隠岐に配流になる途中、元弘2年(1332)、昆陽近くに御宿泊になり、「命あれば昆陽の軒端の月も見つ又いかならん行末の空」と詠まれたと『増鏡』に記されています。

大永2年(1522)までは昆陽院という寺があって、天皇行幸の際の宿泊所であったと言われていましたが、現在跡形もないのは残念です。最初、昆陽の本陣は、佐藤家でしたが、幕末頃には川端家が勤めていました。現在、川端家の先祖代々の墓は、昆陽霊園にあります。有名な測量家の伊能忠敬は、文化5年(1808)神崎―伊丹―有馬道を測量した後、この本陣に泊まった記録が残っています。





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