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昆陽本陣跡

昆陽5丁目





 
 西国街道沿いの昆陽は古くから宿場町で、元弘の乱(1331年)によって捕らえられた後醍醐天皇が隠岐に配流になる途中の1332年(元弘2)、昆陽近くに一泊され、「命あれば 昆陽の軒端の月も見つ またいかならん 行末の空」と詠んだと『増鏡』に記されています。
 江戸時代になると、公家・大名・公用で旅をする幕府の役人などが宿泊する本陣が置かれ、当初昆陽宿の本陣は佐藤家でしたが、幕末の頃には川端家が務めました。なお、川端本陣には伊能忠敬も1808年(文化5)、街道測量の途中、宿泊したといわれています。





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