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師直塚

池尻1丁目




 
 高師直は南北朝時代の武将で室町幕府初代将軍足利尊氏の執事でした。生年月日は不明です。
 1336年(建武3)に成立した室町幕府の中枢の地位にあって南朝の宮を焼き払うなど幕府の危機を救いました。しかし、既成の秩序に反逆したため、幕府の秩序維持確立を目指す尊氏の弟直義との対立が一挙に表面化しました。尊氏は師直を罷免しましたが、師直は弟師泰と共に尊氏邸に逃れた直義を攻め、執事の職に復帰しました。しかし直義は南朝と和睦し尊氏を破り、師直兄弟に傷を負わせました。その翌年、1351年(観応2)、尊氏は直義に和睦を申し入れ、帰京したい旨を伝えて許されました。師直兄弟は剃髪し、入道となって恭順の意を示しましたが、同年2月26日尊氏と共に京都へ向かう途中、武庫川を過ぎたところで待ち伏せていた直義派の武将に討たれてしまいました。この一連の出来事は歴史上「観応の擾乱(じょうらん)」と呼ばれています。
 現在の碑は1915年(大正4)に山田村の村民たちが師直の供養のために建てたもので、以前は現在地よりも北にありましたが、道路拡張や耕作の妨げになるという理由で移転を繰り返し、現在の地に落ち着きました。





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