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旧西国街道



西国街道は律令国家の時代、京と九州大宰府を結ぶ主要官道であった古代山陽道を継承しています。
江戸時代になると、街道は江戸を中心に整備した五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)となり、古代山陽道は西国街道と呼ばれ、脇街道へ格下げになりました。
西国街道のうち、大山崎(山崎宿)から西宮(西宮宿)までを「山崎通」と称し、その間に芥川宿・郡山宿・瀬川宿・昆陽宿が設けられ、東海道大津(宿)から京伏見経由大山崎から西宮までの近道であったので、西国大名の参勤交代の街道に利用されました。伊丹市内における旧西国街道はほぼ国道171号の南に沿って走っており、主な道筋は旧北村にある「辻の碑」を西に伊丹坂を上り、大鹿、千僧、昆陽を過ぎ「昆陽寺」のある寺本を経て、尼崎市西昆陽にある「髭の茶屋」に至っています。




稲野村道路元標






路元標は道路の起点を標示する標識で、大正11年(1922)以降に各町村の主要道路の交差点に設置されました。
この道路元標は西国街道と有馬道が交差する四つ辻に設置しています。



稲野小学校前の道標





この道標の元の設置場所はここより西の西国街道と有馬道の四つ辻にありました。

道標の四面に「すぐ京都」「すぐ中山・小濱」「すぐ西宮」「すぐ尼ヶ崎・大坂」と刻まれています。この「すぐ」という言葉はまっすぐという意味です。

長勢橋の碑





この碑は西国街道の道端にありましたが、近年付近の児童公園にうつされました。碑の右側には「慶応四年辰正月三日」とはり、慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いとの関係が考えられます。

東天神社



 

東天神社は昆陽村の東の氏神です。有馬道はこの神社の境内を迂回します。鳥居の前の塀側に道標があります。
西面には「右大坂・尼ヶ崎」南面には「左中山・三田・小濱・有馬」と記されています。広い境内はひっそりとしていて国道171号線に面していると思えないたたずまいです。
境内には西行法師の歌碑があります。

津の国の 芦のまろやの 寂しさは
冬こそわけて 訪うべかりけれ    (『山家集』より)

作者の西行法師は平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧で
俗名佐藤義清といい、鳥羽上皇に仕えた北面の武士でした。23歳で出家しましたがその原因は謎です。出家後はあちらこちらに草庵を結び旅を住処にしていました。
ここには伊丹市内で最古の鳥居「元禄六年(1639)銘」がありましたが、新しく建て直されました。


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