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最禅寺

池尻2丁目




 大雄山最禅寺の本尊は釈迦牟尼仏です。江戸後期以降は尼僧が住職を務め、昔から尼寺として親しまれてきた曹洞宗の寺でしたが、現在は男性の住職となっています。
 寺社奉行へ提出した「寺社着込帳」によれば住職は、1655年(明暦元)からは玉蔵院隆長(真言宗、高野山の僧)、1682年(天和2)〜1692(元禄5)の間は浄土宗の愚願が務めたとあります。また、寺名は伊予国大洲藩加藤遠江守領の池尻村最福寺と記載されています。1692年(元禄5)、播州網干、龍門寺の仏智弘済禅師(盤珪)の弟子聖瑞が住職となり、伊予国大洲の富士山如法寺の末寺となって、寺号も最禅寺と改められた、と記録されています。
 境内には、単層切妻造四本柱の鐘楼があり、梵鐘には上島鬼貫の法名が記されています。山門脇には左右に地蔵堂と稲荷社があります。毎年12月31日は地域の有志が除夜の鐘を撞きに来る風習があります。





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