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東リ・インテリア歴史館
  (黄金塚・猪名野笹原旧蹟)

東有岡5丁目



東リ・インテリア歴史館


東リ本社内にある黄金塚古墳看板

 
 元加賀藩士の寺西豊太郎は金沢で大量に放置されていた稲わらを再利用し床敷物の「由多加織」を完成させ、輸出に便利な神戸に近い伊丹で、1891年(明治24)寺西由多加織合名会社を起業します。1919年(大正8)東洋リノリューム(株)へと発展し、カーペット、床材、壁紙、カーテン等を生産、1991年(平成3)東リ(株)と社名変更しました。
○東リ インテリア歴史館
 1920年管理棟として建設された木造2階建の建物が、2007年(平成19)伊丹市より景観重要建造物に指定され、2019年(令和1)4月から「東リ インテリア歴史館」として公開されています。この建物は大阪の綿業会館、大阪商船三井船舶神戸支店などの設計で知られる渡邊節が設計したことが棟札などからわかりました。外観は柱や梁などの軸組を外部に露出させ、間を煉瓦や漆喰で埋めて外壁とするハーフティンバースタイル、幾何学的模様に装飾された庇付の玄関が特長で、現在もモダンな印象を与えています。

○黄金塚
 東リ敷地内に黄金塚(摂津名所図会では金塚)という小さな塚があります。埴輪片や須恵器が出土しているので古墳(円墳)の可能性が高いとされています。また、1000枚の黄金の瓦が埋められているとの黄金伝説が残っています。

○猪名野笹原旧蹟
 伊丹台地は猪名野と呼ばれ、笹の原野がひろがり、風にそよぐ笹原の風情は、古くから都人の詩情をかもしていたとみえ、数多くの古歌が残されています。
 その後、荒涼とした笹の原野が次第に開墾されていく中で、一画の笹原が残され、人々に猪名の笹原の旧蹟として伝えれてきたようです。1645年(正保2)頃の『摂津国絵図』に「いなの小笹」と記され、1798年(寛政10)刊行の『摂津名所図会』に「猪名笹原」とこの辺りが取り上げられているのが理由のようで、東リの正門横の壁にパネルが掲示され、その下に「ネザサとオカメザサ」が植えられています。
 ※ちなみに『摂津名所図会』にはこんな記述もあります。
「猪名小笹 昆陽寺の東、田圃の中にあり。この小笹を毎歳正月元旦に、開山行基像開扉の用具とす。(以下略)」 
「猪名笹原 伊丹の南、街道の東に、方三間許の笹原あり。舊蹟の印に遺せしものやらん。猪名野笹原、猪名野の惣號なり。」

猪名の笹原を詠った有名な古歌
・しなが鳥 猪名野を来れば 有間山 夕霧たちぬ 宿りはなくて 
               詠み人知らず『万葉集巻七』
・有馬山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする  
                大弐三位 『後拾遺和歌集』





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