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資料
有馬山をたずねてNEW

(令和6年1月)

いにしえの時代から、伊丹は風光明媚な自然に恵まれ、詩歌として詠み継がれてきました。現在、それらの古歌は市内の各所に歌碑として設置されて、往時の面影を感じることができます。
その歌碑の中に、「有馬山」が登場する歌が4首あります。
今回、足立氏は「有馬山はどのように歌われ、何を指すのか」等の疑問にスポットを当てて執筆いただきました。

足立 繁

伊丹の新地名

(令和4年2月)

バブル時代を前後して都市開発が進み、昭和37年住所表示に関する法律の実施などで旧来の地名が消え、新地名の表記になりました。
これまで郷土伊丹の旧地名に関する資料を提供いただいていた足立氏から、今回は新地名の由来や語源などをまとめられた原稿を寄せていただきました。

足立 繁
伊丹と落語

(令和3年3月)

伊丹では古くから落語の高座が開かれ、現在に脈々と受け継がれています。
足立さんは「伊丹家かれる」という高座名で活動されている傍ら、「伊丹と落語」というテーマを研究をされています。
今回、伊丹での落語の歴史や伊丹を題材にしてどんな演目が演じられてきたか、などをまとめられた資料を提出いただきました。
【1】落語の歴史と「上方・江戸」の落語
【2】落語の「演目・演題」
【3】〔唖のつり〕〔昆陽の御池〕(動画1)
【4】〔運つく酒〕〔長者番付〕
【5】〔鷺とり〕〔商売根問〕(動画2)
【6】その他の伊丹に関連するもの

足立 繁







「伊丹」の由来(語源)

(令和3年1月)

伊丹の「小字の研究」で資料の提出をいただいていた足立さんから、「伊丹」の由来(語源)と題した資料をいただきましたので、掲載いたしました。

・地名の研究「伊丹」の語源
・「伊丹」の漢字のなりたち
・古文書等の「いたみ」の初見
・伊丹の語源通説
・伊丹の語源
 以上、五項目で構成されています。
参考にしてください。


足立 繁





不思議な形 五稜郭

(令和2年5月)
 
昨年(2019年)に入会した北海道出身の新井さんは、有岡城跡について勉強していた時、同期生の方から「北海道にお城はあるの?五稜郭は?」と質問されました。過去に地元の「五稜郭」に数回行ったことがあったのですが、詳しいことは知らなかったそうです。 この機会に改めて調べてみようと決意し、令和2年2月11日の定例会で発表されました。


新井 若菜
 惣構と東部の地域 

(令和2年2月)
 
令和元年11月9日に、文化財保護啓発の市民ガイドが行われました。その1か月前の定例会でコースの概要を説明された資料です。
松田氏は有岡城惣構の東部の高低差を、過去と現在に比較しながら解説されています。
有岡城跡の丘陵にJRの鉄道を敷設した理由、、加茂井や猪名井の灌漑用水の供給などにも触れながら、随所に残っている歴史の痕跡を記しています。

 松田 孝雄  
戦国の山城を訪ねて 

(令和元年11月)

内橋氏は山登りの会に参加されて、各地の低山を歩いている時、山城に興味を持たれた。昨年、丹波篠山市の福住地区を山行し、周辺にある戦国時代の山城が多数あることが判り、城の構造やその時代背景、さらに武将荒木村重との関係などを調べられました。令和2年にNHKで放送される大河ドラマ(「麒麟がくる」)鑑賞の参考になるでしょう。


内橋 義昭
行基菩薩 伊丹の足跡 

(平成31年3月)

奈良時代の僧行基は畿内(近畿)を中心に、道場や寺院を建て、灌漑施設を作り、数々の社会事業を成し遂げました。その足跡は伊丹市内に数多く残っています。
今回、伊丹や尼崎に関係する行基の足跡をまとめた資料を、林亨氏から提供いただきました。


林 亨
複雑で難解な
「応仁の乱」を読み解く


(平成30年12月)

「応仁の乱」は室町時代後期、諸大名が10年間に亘って戦った、日本史上で有名な戦乱です。

最近、中央公論の新書「応仁の乱」は歴史書として異例のベストセラーになりました。しかし、最後まで読まれた人でその内容を充分理解できた人は意外と少ないようです。それは
細川勝元、山名宗全の対立に加え、将軍後継問題や管領家の家督争いが複雑に絡んで起きた戦乱だからです。

今年11月、末次氏はこの難解な戦国乱世の序曲「応仁の乱」を解りやすく伝えるべく、ラスタホールで講演をされました。今回、歴史好きの皆さんの興味を呼び起こすことが出来ればと、その発表資料をご提供いただきました。

日本屈指の大乱を理解するのに、お役立てください。

末次 弘幸




※各データ量が大きいため、表示に若干の時間を要します。→
 
伊丹の昔話と民話と伝説 

(平成30年8月)

伊丹には古来からの多くの昔話や民話が残されています。
文化財を見て歩く時、その言い伝えられた物語に触れると、ほんわかとした豊かな気持ちになるものです。

今回、池田氏はそれらの物語を「大木」、「塚」、「墓」、「石」、「井戸」など、10の項目に分類し、解りやすくまとめられました。
文化財ガイドの手引書として、ご利用ください。

池田 利男
行基の周辺 

(平成30年7月)

平城遷都(710)の頃、行基の布教活動は朝廷から度々弾圧を受けましたが、行基集団の信者は民衆から圧倒的な支持を得ます。
その民衆の力を背景に、畿内各地で池・溝や布施屋などの施設を築造します。

今回、林亨氏は5つの項目から行基の業績を振り返ります。

(1)行基の足跡と行基の地図
(2)道昭と行基
(3)行基と僧尼令
(4)行基の説話ー日本霊異記
(5)行基と女性

1300年前、僧行基が果たした役割を思い起こしてみましょう。

林 亨
荒木村重 

(平成30年6月)

伊丹ゆかりの歴史上の人物といえば、まず三人の人物を思い浮かべます。
僧行基、俳人上島鬼貫、そして、武将荒木村重です。

特に、荒木村重の数奇な人生は興味深いものがあります。
どのようにして、「摂津三守護」として信長に認められたのか?
なぜ、信長に反旗を翻したのか?
晩年の村重は茶人としてどう生きたのか?

今回、林亨氏は荒木村重の足跡をたどりながら、ガイドする時の要点をまとめられています。
また、有岡城のガイドで良く尋ねられる、黒田官兵衛の幽閉された場所についても推察されています。

ぜひ、ガイドの資料として、ご利用ください。

林 亨
行基と土塔

(平成30年5月)

大阪府堺市にある<大野寺土塔>は奈良時代に築かれた仏塔です。
大野寺は行基が建立したとされる四十九院のひとつで、行基年譜には「聖武天皇四年神亀五年」に起工したと記されています。
昭和28年国の史跡に指定され,発掘調査後、平成21年に復元整備が終了しました。

今回、林亨氏は専門家による発掘調査の考察を引用しながら、<大野寺土塔>の概要をまとめられています。

今年は行基生誕から1350年の年で、秋には行基をテーマにした講演会やイベントが開催される予定です。
参考資料として、ご一読ください。

林 亨
西郷隆盛に学ぶ人間力

(平成30年4月)


日本史では、国難が生じた時、必ず傑出した人物が登場します。
西郷隆盛も、動乱の幕末に登場した英傑のひとりです。
そして、歴史上人気のある人物として、西郷隆盛の名前が挙げtられます。

今回、末次氏は薩摩藩の貧しい下級武士であった西郷隆盛が明治維新の立役者と成長していく波乱の人生をたどりながら、歴史的功績やその人間的な魅力を述べられています。
また、西郷隆盛と伊丹との関わりにも触れられています。

現在(平成30年)、NHK大河ドラマ「西郷どん!」が放送されています。
番組を鑑賞するための参考書にもなるでしょう。

末次 弘幸









※各データ量が大きいため、表示に若干の時間を要します。→
「昆陽寺鐘銘」の現代語訳

(平成30年2月)

「今昔物語集」に、摂津国の小屋寺で鐘が盗まれた話が載っています。
盗まれた釣り鐘には銘文が刻印してありました。その銘文は「摂津名所図会(巻六)」に掲載されています。

今回、林亨氏とご子息の泰弘氏が現代語に訳され、ここに掲載していただきました。
銘文には昆陽寺を建立した由来や僧行基の業績が、時代の背景とともに記されています。
古文書とその現代語訳に加えて、詳しく語釈も記載されています。
また、難読漢字にはふりがなも付いています。

林 亨
(文責:林 泰弘)
思い出の世界文化遺産  


エジプトの巻

(平成29年12月)




英語教師をされていた山内さんは英語を集中的に勉強しようと、アメリカのペンシルバニア州に留学されました。30代の頃のことです。そこで語学をマスターするとともに、海外の文化遺産に興味を抱くようになったそうです。これまでに60ヶ国を旅して、各地の世界文化遺産を訪問されています。
現在も「火曜会通信」にその体験記を連載されており、14の世界文化遺産を紹介しています。

今回、「火曜会通信」の41号に掲載された、1回目の世界文化遺産体験記「エジプトの巻」を、改めて自由研究として紹介いたしました。訪問された時期は1996年(平成8年)3月5日〜14日です。

2017年の世界遺産登録数は1073件(167ヶ国)で、167ヶ国登録されています。日本には21件登録されています。

山内富美子
ジョン万次郎の生き方に学ぶ

(平成29年10月)

数奇な運命をたどった人生は、興味深い。

ジョン万次郎は明治維新の40年ほど前に、高知県土佐清水市で生まれました。漁師見習いとして乗り込んだ船が漂流したことからその数奇な人生は始まります。奇跡的に鳥島にたどり着き、そこでのサバイバル生活を強いられた後、偶然通りかかったアメリカ捕鯨船に救助されます。ハワイのホノルルを経て、アメリカ大陸にやってきます。捕鯨や金山での採掘を経験し、日本に帰国します。時は黒船来航の2年前。まさに激動の幕末が始まろうとしていました。

研究者の酒井さんは四国松山出身。奥さんが土佐清水出身で、お父さんが捕鯨船の機関長をしていたことから、ジョン万次郎の生き方を研究してみたいと思ったという。

酒井正憲
聖武天皇

<責めは予(われ)一人にあり>


(平成29年5月)

政変と兵乱、災異と疫病・・・天皇は、そのすべてを背負った。

命を懸けて民の為、国家のために努力したはずの聖武天皇。
通説では聖武天皇は評判が悪い。この原因は天平12年から5年間で(藤原京)平城京、難波宮、恭仁京、紫香来宮、最後に平城京と遷都を繰り返し「世に彷徨5年と言う言葉もあり、聖武天皇はノイローゼになっていたのではないか」と言う人さえあります。
これらの誤解を解くため、聖武天皇の悩み、喜びを可視化することで聖武天皇の実像に迫ります。

林 亨