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 幕末の漢学者、勤王家、伊丹郷学「明倫堂」初代教頭。
上野国沼田の生まれ。父の一徳が大坂蔵屋敷詰となり、香坡も大坂にやってきました。父一徳は香坡を篠崎小竹の梅花社に入塾させ、篠門四天王の1人といわれるようになりました。
 1838年(天保9)伊丹郷学「明倫堂」が開校され、香坡は近衛忠Xから初代教頭に招請され、1857年(安政4)その職を辞すまで20年近くに亘り幕末の伊丹の教育・人材育成に貢献しました。暫く西遊して大坂に戻り、私塾を開きますが、暮らし向きは恵まれませんでした。長州藩士と親交のあった盟友、藤井藍田が新撰組に捕えられ、藤井家の書付けの中から香坡の倒幕の大義書が見つかり、香坡も逮捕され獄死しました。門人たちの手で伊丹菩提寺に葬られたと伝えられています。

◆香坡ゆかりの場所 
墓碑(菩提寺 船原2丁目)、詩碑(伊丹小学校東南)。


■菩提寺にある橋本香坡墓碑




■伊丹小学校東南にある歌碑


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