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幕末の勤皇家。岡山藩軽卒の身から倒幕を目指し、天誅組の総宰に就きます。安政4年(1857)頃から一時、伊丹に滞在し多くの書画を遺しています。

鉄石は15歳で叔父藤本彦右衛門の養子となり、岡山藩で手代役としていたが、25歳のとき、脱藩して京都に入り軍学を学び、天下の志士とも交わります。さらに同士を求めて諸国漫遊の途につきました。鉄石は書画に長じ、和歌、漢詩に通じ、これらの交流により天下の形勢を探り、後日の行動への準備をしていました。伊丹では猪名野神社近くの酒造家伝法屋森田伝兵衛宅や町年寄伴善右衛門宅に逗留しました。文久3年(1863)倒幕の義兵を大和に挙げましたが幕府軍に敗れ、鷲家口で戦死しました。

■鉄石の作品がある柿衞文庫








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