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 京の人。江戸時代前期の俳人。伊丹で俳諧塾「也雲軒」を開き、郷町の子弟に俳句を教え伊丹風俳諧隆盛の礎を築きました。宗旦は1674年(延宝2)他の門人と共に松永貞徳の高弟松江重頼に伴われて伊丹に吟行しました。宗旦はこのとき10日余り伊丹に滞在して伊丹の酒の虜になり、京に帰ることなくそのまま伊丹に住みつきました。
 「也雲軒」は井筒町(現中央2丁目辺り)にあり、貞門派はもとより談林派・西山宗因、井原西鶴など高名な俳人も門をたたいています。
 宗旦の句風は豪放磊落、人の意表をつくものであったと伝えられ、太くたくましい伊丹風俳諧に大きな影響を与えました。菊花を愛で、酒を愛した宗旦は58歳で生涯を閉じ、光明寺に葬られています。

◆宗旦ゆかりの場所 
墓碑(光明寺、宮ノ前2丁目)、句碑(船原一ツ橋公園)。


■墓碑がある光明寺



■船原一ツ橋公園にある歌碑




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