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伊丹氏は鎌倉時代末期から荒木村重に攻め滅ぼされるまで約300年に亘って伊丹を支配していました。伊丹氏の文献上の初見は延慶2年(1309)、「東寺百合文書」に「六波羅探題の使者伊丹四郎左衛門入道妙智」とされています。中世の伊丹氏については『太平記』に大和守が伊丹城に拠ったこと、伊丹氏の分家、森本氏が足利軍に馳せ参じた軍忠状、細川高国の森本氏に対する感状など断片的に動きが分かりますが、『細川両家記』以外に系統的な史料は残されていません。時代は下り、戦国時代末期に伊丹城主として伊丹親興と伊丹忠親が署名した禁制文書が尼崎・本興寺に残されています。親興の禁制文書には「天文十八年(1549)四月六日伊丹大和守親興」と署名されています。親興にこの頃、村町幕府の内部抗争の中、細川晴元側につき三好氏と戦っていました。忠親の禁制文書には「元亀元年(1570)七月十二日伊丹兵庫頭忠親」と署名されています。織田信長が足利義昭を奉じて入京すると、伊丹氏は信長側に着き、摂津三守護の一人に任じられました。信長が義昭を追放した翌天正2年(1574)荒木村重が信長の命を受けて伊丹城を攻略し、伊丹氏は滅びました。

■有岡城跡



■伊丹之親・伊丹元親の歌碑




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