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幕末の勤皇家、出雲生まれで伊丹明倫堂2代目教頭、名は相観、号は椒園など。
出雲国の神官の家に生まれ近隣の儒学者伊藤宣堂の門人となり、漢学を修め、更に大坂に出て儒学者篠崎小竹の塾にて5年間学びました。安政4年(1857)伊丹明倫堂2代目教頭に招かれ、11年間郷党子弟の教育を携わりました。明倫堂の廃校により伊丹を離れ、京で尊王論を唱え捕らえられ獄死しました。摩斉が明倫堂教頭時代に正覚寺に寄寓した縁で同寺に夫妻の墓碑があります。著書の中に『伊丹邑志』が見られます。

■夫婦の墓碑がある正覚寺





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