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梶曲阜は、伊丹の歴史家であり「有岡古続語」の作者である。
彼は、寛政11年(1798)4月25日伊丹で生まれた。同家はもともと小畑六兵衛といって東桑津に住んでいたが、後に津田氏をなのり曲阜の曽祖父近江屋権兵衛に至って伊丹伊勢町(現在の伊丹4丁目付近)に移った。祖父は、母方の実家が梶原平三景時の筋ということで津田の姓を梶と改めた。父金兵衛は屋号を大和田屋としたので、その長男の曲阜も大和田屋金兵衛と称した。有力酒造家の山口平右衛門(俳号・太乙)の別家である。そのため山口家が猪名野神社に奉納した大石灯籠にも金兵衛の名前が確認できる。妻の卯野との間に10人の子供に恵まれたが次男金四郎に家督を譲り隠居した。明治7年(1874)11月14日77才で死去。墓は杜若寺にあり、曲岡と並んで曲阜の名が刻まれている。曲岡とは曲阜の次男金四郎の俳号である。
 曲阜はまた照顔斎とも称しているが、これは彼の尊敬する鬼貫に関連すると考えられる。鬼貫を赤い顔と解して自らを「てる顔」と号したのである。
また、彼は家業の傍ら俳句の道にも精通し、安政3年(1856)8月27日二条殿に召され、宗匠の列に加えられて風折烏帽子、蓮色水干、浅黄指貫などを賜り会席に着用することを許され、松の本の号を授けられた。
    松の本の号拝のとき
   『戴きてそのかげ廣し月の松』  曲阜

 梶家「系図録」(昭和47年の伊丹市博物館に寄贈された)の冒頭に「照顔斎三ヶ条」として家訓が記されているが「御公儀様の法度を守り米相場などに手を出さず正直第一が大切」等当時の一般の道徳感を反映しており、彼の誠実で勤勉な人柄がうかがえる。
 曲阜は伊丹の町を愛し、その歴史を誇りにしていた。
特に郷土の俳人鬼貫を慕い伊丹やその近郊に7基の句碑を建てている。

   『鳥ハ未口も ほとけす初桜』   嘉永7年(1854)建立   猪名野神社
   『はるもややけしき とゝのふ月と梅』 『によつほりと 秋の空なる富士の山』
      天保14年(1843)建立 西宮神社神苑の 芭蕉・鬼貫句碑
「有岡古続語」は郷土に関するさまざまな事がらや伝来の書物を後世の人に伝えたいと曲阜が書き記したものである。
乾坤2冊からなる折本で「伊丹荒木軍記」とともに1つの箱に収められている。
『有岡むかし語』 『有岡むかし語余禄』(西谷午?) 『三本松之記』(古野将盈)など、当時伝わっていた地誌録に自らの見聞記を加えて、元治2年(1865)にまとめたもので、元禄期から幕末までの内容である。
 伊丹の地名や行事に関してだけでなく、伊丹の酒家盛衰の事・伊丹角力流行の事・賭博流行の事・能狂言流行の事など多方面にわたって記されており、当時の暮らしを知るうえで重要な資料になっている。巻末には有岡八景が紹介されており、曲阜をはじめ俳人たちの句や画がかかれている。


               参考:伊丹の伝説 付 有岡古続語  教育委員会発行
                 :日本人名事典2巻


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