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 幕末における伊丹俳壇の第一人者。伊丹に生まれ、生涯伊丹暮らし。通称大和田屋金兵衛、照顔斎と号しました。有力酒造家山口家の別家ともいわれています。元来梶家は別姓でしたが、祖父の時代、母方の実家が梶原景時に連なることから梶と名乗るようになりました。猪名野神社の大石灯籠にも大和田屋金兵衛の名が残ります。
 曲阜は家業の傍ら俳諧にも親しみ、1856年(安政3)二条殿に召され俳諧宗匠になり、後進の俳人をよく指導しました。曲阜は伊丹の町を愛し伊丹の歴史を誇りにしていました。特に郷土の俳人鬼貫を慕い、岡田糠人、山口太乙とともに、伊丹及びその近郊に8基の句碑を建てています。また芭蕉を慕って、奥の細道の跡をたどっています。曲阜は郷土に関する事柄や伝来の書物を後世に伝えるべく『有岡古続語』を書き遺しています。1874年(明治7)75歳で病没、生家近くの杜若寺に葬られています。

「梶曲阜」のさらに詳しい解説はこちらから

◆曲阜ゆかりの場所 
墓碑(杜若寺 東有岡5丁目)、曲阜が建てた鬼貫句碑のある所 (墨染寺、荒村寺、猪名野神社、鵯塚、遍照寺)。

■墓碑 


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