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江戸時代後期の歌人・国学者で通称孫四郎。播州赤穂藩士でしたが、幼少時より長治祐義に和歌を学び、中村潔夫を慕って伊丹に移し住み、その門に入りました。更に和歌山の本居太平にも国学・和歌の教えを受け、太平没後、伊丹に戻り、伴林光平等多くの門人に和歌・国学を教え、伊丹における和歌・国学の発展に大きく貢献しました。56歳で生涯を終え、金剛院に葬られました。墓碑の碑文は加納諸平の撰です。昆陽池公園に継ぎの歌碑が建てられています。

「志ら露を たまにぬきとめ をとめこか かさしみまかふ あきの萩ハら」



■墓碑がある金剛院



■昆陽池公園の歌碑




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