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 江戸時代後期の高名な漢学者、漢詩人。伊丹の酒に魅せられてたびたび伊丹を訪れました。大坂に生まれ、広島で育ち、江戸に遊学し、晩年は京に居を構えました。文政10年(1827)著作『日本外史』を元の老中松平定信に献じ、広く世に認められました。この書物は後に勤王志士に多大の影響を与えました。
 幼少より詩文に長じていたが、気性激しく、広島に暮らすとき、突然、脱藩を企て、上京しましたが、連れ戻されて、廃嫡となり、一時、屋敷内に幽閉されました。このことにより、気ままに読書に耽り、著作に励むことができたともいわれています。幽閉中から26年もの歳月を経て『日本外史』を書き上げました。更に『日本政記』を著した後、53歳で生涯を終え、京長樂寺に葬られました。
 山陽は酒を愛し、たびたび伊丹を訪れ、酒造家達と交遊しました。山陽ゆかりの柿の木、銘酒「泉川」で知られた大塚鳩斉の山陽撰なる墓碑が残されています。また、清酒「白雪」の瓶ラベルや菰樽に山陽が白雪をたたえた漢詩の一節がみられます。

頼山陽」のさらに詳しい解説はこちらから

◆山陽ゆかりの場所 
山陽遺愛の「柿の木・2代目」(柿衞文庫 宮ノ前2丁目)、山陽撰並書大塚鳩斉墓碑(杜若寺 東有岡5丁目)、 詩碑(産業道路沿い中央6丁目)。

■ 頼山陽ゆかりの柿の木            ■詩碑

   


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