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 戦前・戦後の実業家。特に戦後、吉田茂の側近として活躍。戦前、父文平が伊丹春日丘に別荘を建て、次郎も一時期住んだといわれています。
 白洲家は江戸時代三田藩の儒学者の家柄で、次郎は文平の次男として芦屋に生まれました。父文平は綿貿易で巨万の富を築き、大正から昭和初期にかけて伊丹春日丘の広大な敷地に邸宅を構えました。また美術舘も備えていたと伝わります。
 次郎はケンブリッジ大学に学び、1928年(昭和3)に帰国後、英字新聞記者を経て日本食料工業(現日本水産株式会社)の役員等を務め、また近衞文麿の側近の一人でした。海外生活で得た知己も多く、戦後は時の首相吉田茂の懐刀としてサンフランシスコ講和条約の締結に大きな役割を果たしました。その後東北電力会長など務め82歳で世を去りました。妻正子(1910〜1998)は随筆家としてよく知られています。

◆次郎ゆかりの場所 白洲屋敷跡 春日丘4丁目。


■伊丹緑道にある白洲屋敷跡の説明



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