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幕末の国学者、歌人、勤皇志士。河内国志紀郡林村(現藤井寺)の浄土真宗尊光寺に生まれました。八尾の教恩寺の住職になりましたが、和歌・国学の研究や講義に熱心で、国学・和歌は江戸の伴信友、紀州加納諸平等に学びました。尊王攘夷運動の盛り上がりの中、光平も国学者として志士達と行動をともにすべく、還俗し16年間過ごした八尾を去ります。文久3年(1863)天誅組に加わり、義挙に失敗して翌年処刑されました。獄中の作『南山踏雲録』が知られています。光平は伊丹北村教善寺に安政3年(1856)から4年間隠れ住み、町衆に国学や歌を教えていたといわれています。

■教善寺




■伴林光平の歌碑





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