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幸元は伊丹鴻池で、わが国初めて清酒造りに成功しました。
江戸時代の書物『日本山海名産図会』に「伊丹ハ日本上酒の始とも云べし、・・・文禄・慶長の頃より起て、江府(江戸)に売始しは、伊丹隣郷鴻池村山中氏の人なり・・・」と記されています。山中氏は山中幸元です。
幸元は戦国時代の武将山中鹿介の「子」ともいわれ、大坂の豪商「鴻池家」の始祖でもあります。伝説のよると幸元は父鹿介の没後、9歳のとき、鴻池村に隠棲していた(大)叔父、山中信直(喜楽)を頼って同地に身を寄せましたが、程なく信直も没し、(大)叔母に育てられました。時勢定まらず、幸元は鹿介の子であることを堅く秘し、武士を捨て、新右衛門と町人名を名乗りました。
伊丹は池田とともに古くから濁酒の醸造で知られ、幸元長じて濁酒の行商から身を起こし、慶長5年(1600)頃に芳醇な澄酒(清酒)造りに成功し、当時の新市場江戸での販売に成功しました。その後、8男正成(初代鴻池善右衛門)と共に大坂へ進出し、豪商「鴻池家」の基礎を創りました。更に酒の江戸積に関連して海運業や大名貸しを手掛けるようになりました。鴻池家はその後両替商から鴻池財閥へと発展したことは広く世に知られているところです。


■山中家の墓碑がある慈眼寺



■鴻池稲荷祠碑




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