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 奈良時代(八世紀)に僧行基の造った昆陽池は、上池と下池の二つからなっていました。そのうち下池は、慶長十三年(1608)に埋め立てられましたが、「池尻」の地名は、この下池の尻にあることからつけられたのでしょう。
池尻村は、江戸時代は伊予大洲藩(現在の愛知県)の加藤氏の領地でしたが、のちに幕府の直轄領(加藤氏管理)となりました。
 明治維新後、明治二年(1869)に版籍奉還が行われ、翌年兵庫県川辺郡池尻村となり、同二十二年(1889)に市制町村制が施行され、旧稲野村に編入されました。そして、昭和二十五年(1940)に旧伊丹村と旧稲野村が合併して伊丹市が誕生し、現在に至っています。池尻村は、武庫川の水を引く昆陽井および昆陽池にうるおされた豊かな農村でしたが、一方、洪水による被害も度々あり、とくに村の北にある横手堤が決壊すると大きな被害が発生しました。近年、工場や住宅も増えましたが、村の中心部には、なお昔のおもかげが諸所に残っています。


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