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 南野村は江戸後期の文政11年(1828)以降は、全村が尼崎藩領でした。当時の村は、南は柏木町、来たは南野北6丁目(旧南野字中曽根)までの南北に長い区域でした。柏木町1丁目にある墓地は旧南野村の村墓です。
 山陽新幹線(昭和47年3月15日新大阪〜岡山間開業)より南側の南野の字地名は、住居表示の実施及び町名変更により、南野1丁目〜5丁目と6丁目の1部、安堂寺町、柏木町および若菱町5丁目となりました。
 山陽新幹線より北側区域の南野の旧地名のうち「池ノ下」「溝口」は、現在の市営山道団地のところに「南野村池」があったことと、その用水に関係がある地名と思われます。また、「山道」は南野村を通っていた有馬道(古くより有馬温泉に向かう道)と関係があると思われます。
 南野北4丁目及び5丁目には「野間字熊野」「野間字八ツレ松」などの旧地名がありました。
 
その他にも地図に表示していますように旧地名がありましたが、平成18年3月6日の住居表示の実施により使われなくなりました。



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