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 野間村は明治11年(1878)ごろの野間村地図によると、現在の県営伊丹野間団地、笹原小学校、近畿中央病院付近までを区域とし、29の小字に分かれ、それぞれに謂れ(言い伝え)があり、歴史と文化を今日に伝えてきました。
 たとえば「来福地」はこの地を居住地と定めたとき、福が来ることを願ってつけられた地名であり、「来徳」は来福地の住民が毎朝東の方向を拝み、徳が来るように祈ったことによると言い伝えられています。
 また、「高上(たかんじょう)」は南部に隣接する東富松村(現在の尼崎市武庫之荘本町付近)地域が低湿田であるのに比べて高台の良質な田であったため、この地名が生まれ、「四鞍田(よくらだ)」は、むかし高貴な人が使ったと思われる馬の鞍が、4個出土したことで名づけられたと言われています。
 これらの由緒ある地名も、平成8年11月5日実施の住居表示により新町名となりました。
 なお、字才満(あざさいま)・字車塚などは昭和48年12月実施の町名変更により、車塚1丁目から車塚3丁目となりました。
野間小字の研究 ・野間の地名
・各小字の研究(1~29)
・野間健速神社御由緒   (文責:足立繁)

 
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