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 新田中野村は江戸時代の寛永6年(1629)から開発された新しい村です。
“中野”の名は、原野を開拓してできたためと思われます。村内には孫左衛門池など六つの池がありました。集落は有馬への街道に沿って細長く延びています。綿作が盛んで、文政10年(1827)には田の24%に綿を植えていました。初め幕府領で、貞享3年(1686)から武蔵国忍藩(埼玉県)領、文政6年からは再び幕府領となりました。枝郷として東野と西野があり、村高は合わせて五百八十六石余でした。明治3年(1870)兵庫県に編入、同22年に稲野村の大字となり、昭和15年(1940)に伊丹市中野になりました。
 中野の氏神は素戔嗚神社で、天保2年(1831)に寺小屋の酔墨堂が開業、神官の杉山周善が110人の生徒を教育しました。明治23年、中野尋常小学校が開かれ、後に稲野小学校の分教場となって長く使われました。

 
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