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 藤ノ木の地名は、平成14122日の住居表示実施前は天津の小字として使われていました。
 天津村は慶長10年(1605)摂津国絵図にすでに記されており、集落(天津字村ノ内)内には正泉寺がありました。天津の地名は、猪名川と駄六川の間にあり、猪名川の対岸の桑津と同じく古代頃に、湊があったのかもしれないところから、使われてきたと思われます。
 伊丹郷町の運正坂(雲正坂とも記す。現在は都市計画道路伊丹飛行場線(県道伊丹豊中線)の側道の坂道)の下から天津へ至る出口を天津口と呼んでいました。有岡八景の一つに「天津の落雁」があり、自然のながめが美しいところであったと思われます。昭和35年の区画整理により、天津村は、タイヤメーカーの敷地の一部や、天津児童遊園地に隣接する道路になり、当時の集落の面影は全くなくなりました。
 また、JR伊丹駅東のタイヤメーカー工場跡地(天津字藤ノ木・字狐藪・字東ノ口など)には大型商業施設ができました。
 
 
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