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 荒牧の地名の由来については、一説に昔この地に牧場があったことからと言われています。また、他の説には聖徳太子がこの地の河岸の柳で十一面観世音を刻んで仙柳山容住寺を建立し、付近を開墾して寺田とした時、初めて種を蒔いた地を「アラマキ(新蒔)村」と称したことからとも言われています。
 荒牧1丁目~7丁目の旧地名のうち、「三ノ坪」「九ノ坪」は川辺北条の条理地割の坪地名が残ったものです。また、荒牧には用水として「堂ケ本池」「上ノ池」「下ノ池」がありました。今では埋め立てられて、それぞれ大型店舗、大学、中学校の用地となっています。 
 荒牧南1丁目~4丁目の旧地名のうち、「城ノ前」「鍵田」「黒丸」「土橋」などは中世の館(城)に関連した地名と思われ、室町幕府から荒牧の地頭職を与えられた上月氏の居館がこのあたりにあったと考えられます。
 「長野」「桑田」「下田ノ口」「御影」など、天神川までの間には、昭和17年(1942)に国が土地を買い上げて「大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠」をつくり、軍用馬の蹄鉄や医療品などの生産管理を行っていました。 
 地図に表示していますように多くの旧地名がありましたが、平成1175日より荒牧1丁目~7丁目として、平成13115日より荒牧南1丁目~4丁目として、住居表示を実施し、使われなくなりました。


 
 
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