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 山田の地名の由来は、周辺の土地よりも高台であり、田畑が水に浸かりにくかったことから名付けられたと思われます。
 山田には伊丹城の出城(山田城)があったと伝えられていますが、遺跡は特定できません。 また、県道尼崎宝塚線は、尼崎市の出屋敷から国鉄宝塚駅に連絡する鉄道用地として計画されていましたが、工事費調達の困難などから自動車(バス)専用道路に変更され、昭和7年12月にバス営業が開始されました。
 旧地名のうち、「東屋敷」・「西屋敷」は屋敷地(宅地)の西区域及び東区域であること、また、「宮西」は高皇産霊神社(たかみむすびじんじゃ)(山田神社)の西側に位置することから名付けられたと思われます。
 その他にも地図に表示していますように多数の旧地名がありましたが、平成10年3月2日の住居表示の実施により使われなくなりました。
山田小字の研究 ・山田村の概説
・各小字の研究(1~20)
・山田村の年表
          (文責:足立繁)

 
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