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 この地域には、昆陽寺や昆陽池などを造立した奈良時代の高僧行基に関わる多くの伝説や伝承が残されていますが、当時の堀池の人々が昆陽池などの造地構工事に関わったという伝承もその一つです。
 江戸時代の堀池は、正保元年(1644)の摂津国郷帳によれば、昆陽村に属する小村でしたが、その後、寛文四年(1664)までには昆陽村から独立したようです。はじめは幕府領、慶安元年(1648)からは上総国飯野藩(保科氏)の所領となり明治に至っています。
 明治22年、堀池村は昆陽村や千僧村などとともに10ケ村が合併して稲野村に、昭和15年には稲野村と伊丹町が合併して伊丹市となりましたが、堀池の地名は字名として残りました。
 堀池の旧地名に、「字タカセキ」、「字ヒノウチ」、「字水口」がありますが、タカセキ7は「高い堰」、ヒノクチは「樋の口」のことと思われ、「字水口」とともに水利との関わりが考えられます。江戸時代の堀池村は、武庫川から昆陽井(こやゆ)という用水路を通して水を引き、田畑を潤していました。そのほか堀池には、「字ミヨト」、「字登リヲサ」、「字タコハリ」、「字タイト町」、「字ウケハ」、「字ハリノキ」などの旧地名(小字名)があります。
 これらの旧地名の実施により使われなくなりましたが、旧地名を永く後世に伝えるため、この表示板を作製いたしました。

堀池小字の研究 ・堀池の概要
・各小字の研究(1~13)
・堀池のぶり祭り
・堀池の役割
・堀池に係わる雨ごいの巻物
・雨乞いの歴史
・武庫川にまつわる民話・伝承の調査
・堀池の年表
           (文責:足立繁)
  
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