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 昆陽の地名は古代の武庫郡児屋郷に由来し、奈良時代に行基が造った昆陽池も、その範囲に含まれます。
 このあたりは、第二次世界大戦後の、昭和22年(1947)に開校した市立西中学校があるだけで、図に記した旧地名のうち「宮田」、「西中田」、「東中田」、「林田」が示すように一面の田畑でした。また、「流」のように昆陽井から四つ洽(現在は寺本字高安地先)で分かれた昆陽用水との関係を、「下堂ノ前」は千僧の天神社との関係を、それぞれ思わせる地名もありました。
  西寄りを走る市道昆陽鈴原町6144号線は昔有馬道で、北に上がった東天神社の前には「西 大阪 尼崎 左 三田 有馬」と刻まれる道しるべが今もあります。
 現在は都市計画道路昆陽千僧線、山田伊丹線、伊丹飛行場線の整備が進み、都市機能が向上した町となりました。それにともない、平成15年11月4日に住居表示が実施され、大字昆陽の東に位置することから「昆陽東」が新町名となり、旧地名は使われなくなりました。
 
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