トップページ





 江戸時代の鴻池村は、元和3年(1617)から尼崎藩の領地でした。当時は荻野村とともに荒牧村の枝郷でしたが、寛永12年(1635)頃に独立した村になりました。
 鴻池村は清酒発祥の地といわれています。戦国時代の武将山中鹿之助の長男新六幸元を始祖とし、鴻池で清酒醸造に成功し、後年分家した鴻池家(善右衛門)は大阪で両替商としても成功を収め「東の三井、西の鴻池」と並び称されました。また、鴻池の大工組も有名でした。安政2年(1855)には京都御所の造営にも加わっています。
 鴻池には、田畑の灌漑用水として、黒池・西池・新池・前の池・玉田池がありましたが、新池は県立伊丹北高等学校に、前の池は区画整理事業によって住宅地に、玉田池は鴻池小学校とこうのいけ幼稚園になりました。黒池と西池区画整備事業により整備され、少しは狭くなりましたが、現在も溜池として残っています。
 荒牧村や中野村に至る道を境にして「字村中」、「字村西」と呼ばれていました。「字宮ノ前」、「字宮ノ西」は鴻池神社に、「字前池ノ尻」、「字前池ノ下」などは前の池に関すると考えられます。
 その他にも地図に表示していますように旧地名がありましたが、平成19年3月5日の住居表示の実施により使われなくなりました。


摂津川辺郡鴻池村全図    (拡大図)


目次