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「白洲屋敷」とは、神戸で綿貿易の会社を興し、「白洲将軍」と呼ばれた白洲文平が建てた屋敷のことです。かれの次男白洲次郎は戦後、吉田茂首相を補佐し政界で活躍したことで知られています。

文平が伊丹市春日丘に豪邸を建てたのは大正6年で、その4年後の大正11年に一家は芦屋から移り住んでいます。次郎の妻正子によれば、敷地の広さは甲子園球場の約3.5倍の4万坪あり、敷地内には美術館があり、牡丹畑があったといいます。美術館には印象派の絵も所蔵されていたようです。この邸宅はその後人手に渡り、建物は分割、分譲されました。

そして、その門は伊丹市東野の民家に移築され、今も現存しています。持ち主のお話によると、門は吉野杉を使用しており、全横幅が約9メートルの瓦葺きです。門の腰部は琵琶湖で使っていた舟の板で茶色の釘の跡が残っています。そして、扉は両側に開く引き戸になっていて、表面は細かい細工が施してあります。出入口の右側に格子の出窓があり、元は門番の部屋もあったそうです。

邸宅があった場所にはすでに住宅街が広がり、4万坪の敷地を思い浮かべるものはありませんが、今も残されている長屋門が当時の大富豪の邸宅を想像させてくれます。

また、屋敷の一部は京都市東山区の東福寺塔頭・正覚庵に移築されています。



伊丹緑道にある「白洲屋敷跡」の碑
 
 
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