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 口酒井村はもともと猪名川が藻川と分岐する中洲にあった。天正8年(1580年)の洪水による被害のため、猪名川左岸の現在地に移転したと言われている。
 春日神社参道端にある神社の標柱からさらに南側に、神津公園の古堤防の延長部を一部残したような小高い盛土の塚がある。コンクリートブロックで囲った台上に三十数体の五輪塔・石仏等が猪名川の方向、西を向いて立てられている。ほとんどが風化が進んでおり、中には破損したものがある。
 現在のように機械力による大規模な治水整備がされていない昔は、洪水が頻?に発生し、大きな被害を受けることが多かった。口酒井の下流にある田能地区には元文5年(1740年)の大洪水で漂着した犠牲者を弔う立派な宝篋印塔が建立されている。 これらの五輪塔・石仏はおそらく上流から洪水で流されたものが後に掘り起こされ、集められたのだろう。この中に自然石に「無念塚」と彫られたのがある。風化が進んでいないことから、比較的新しい時代に水難者の無念を悼んで設置したものらしい。

 (松田 記





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